Metooに対するフランスでの異論と、文化表象をめぐる動きについて

最近、ハリウッド映画界でプロデューサーによる女優に対するセクハラへの告発の声が上がり、Metooという動きが起きています。

それに対して、フランスで異なる動きがあることについて、ハフィントンポスト日本版に次の記事が掲載されて話題を呼んでいます。

カトリーヌドヌーのセクハラ告発非難に物議

当事者の女優が批判内に秘めた女性嫌悪がある

ドヌーは男性への憎悪を掻き立てていると訴えていました。

MarinaFang

2018年01月10日14時13分JST更新2018年01月10日15時03分JST

このハフィントンポスト日本版の記事に引用された書簡ですが、このように翻訳引用されています。

男性たちは制裁を受け、辞職を迫られている。彼らがやった悪事といえば、膝を触ったり、唇を奪ったり、仕事がらみの食事の場で性的関係を求めたり、好意を持っていない女性に性的なニュアンスのメッセージを送ったりといったことでしかないと、書簡には書かれている。

すでに指摘している方がいますが、これは完全に誤訳です。

初級文法修了レベルのフランス語の語学力があれば、こんな読み間違いはしません。

フランス語の出来ない人が辞書を引きながら訳したか、あるいは意図的に間違った訳文にしたとしか思えません。

ルモンド紙の記事の該当箇所は、このように書かれています。

Cettejusticeexpditiveadjsesvictimesdeshommessanctionnsdanslexercicedeleurmtierladmissionetcalorsquilsnonteupourseultortquedavoirtouchungenoutentdevolerunbaiserparldechosesintimeslorsdundneroudavoirenvoydesmessagessexuelleunefemmechezquilattirancentaitpasrciproque

Ensavoirplussur

私の方で、ざっと抄訳してみました。

この一方的な迅速裁判は、すでに犠牲者を出しています。相手から魅力を持たれていなかったのに、その女性に性的な含意のあるメッセージを送ったり、仕事上の夕食の時に私的なことを口にしたり、キスを試みたり、膝に触ったというだけの間違いを犯しただけで、職場で処分を受けたり、辞職を余儀なくさせられるなどした男性たちのことです

ちなみに日本ではキスやボディタッチは性的な関係がある者同士で行われますが、欧米社会ではキスやボディタッチは日常的なコミュニケーションであることに留意して読むべきです。

また、はてなダイヤリーのブログに、匿名で全訳がアップされています。

翻訳ドヌー女性を口説く権利全訳

このスピード審理は被害者を生んでいる。膝に触ったり、軽いキスをしようとしたり、仕事の打ち合わせの夕食の場で私的なことに触れたり、相手からは好かれていないのに性的なほのめかしをするメッセージを送ったりといった、それだけのあやまちで、職場で懲戒処分を受けたり、辞職を強いられたりなどした男性たちだ。

日本語の訳し方の違いはありますが、文意はだいたい同じでしょう。

ただ、lattirancentaitpasrciproqueは相手からは好かれていないのにというよりは、相手から魅力を持たれていなかったのにという意味だろうと思います。

また、上記のルモンド紙の記事や、はてなダイヤリーでの匿名の翻訳記事には、ニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されているバルトゥスの絵画夢見るテレーズThereseDreamingに対する撤去要求の署名運動が起きた事件、ロマンポランスキーの回顧展に対する抗議行動、ロンドンの地下鉄の駅に掲示されたエゴンシーレのヌード画のポスターに修正が加えられたこと、

いかがわしいバルテュス作品、展示に非難で署名9000人NY

2017年12月6日19:48

発信地ニューヨーク/米国

パリでポランスキー監督の回顧展、性的暴力抗議の女性が乱入

2017年10月31日/13:16

100年経っても大胆すぎ、シーレのヌード画ポスターに修正

2017年11月17日14:06

発信地ウィーン/オーストリア

バルテュスの絵画夢見るテレーズThereseDreamingは、下着が見えている少女の絵に、ネコがミルクを舐めている姿が描かれていますが、これを性的な表象と受け取るのは、まなざしの表象またはMaleGazeという文化表象による見方によるものです。

批評的実践としてはミルクを舐めるネコを性的なメタファーとみなす解釈は成立するでしょう。

だがそれは、エドゥアールマネのオランピアの右端に描かれた黒猫を性的なメタファーというのと同じような意味で性的というべきでしょう。

そして、表象と実体には距離があり、混同すべきではありません。

また人物と作品にも距離があるとみるべきです。

たとえば永山則夫の小説は、彼が殺人犯であるという前提で読まなければならないのでしょうか?

あるいは石原慎太郎の小説は、のちに彼が政治家になり、東京都知事になったことをふまえて読むべきなのでしょうか?

ある芸術作品の制作者の人間性と、その人物が制作した作品を混同するのは、文化理解力の劣化現象でしかないと思います。